2009年8月4日火曜日

(出エジプト記20:1-20)8月2日説教「神のみを神とする」

イスラエルの民はエジプトで奴隷の重労働を強制されていた。神は彼らを解放へと導き、十戒は神の恩恵に対する応答として守るべき戒めとされた。
  日本は軍国主義の支配から解放されて、平和憲法を持つに至った。長い試練を経た後に公布された点で、十戒と日本国憲法には共通点がある。私たちは、十戒の場合と同様に、憲法を大事にしていくことが求められている。
  平和聖日にあたって、戦争の悲劇を繰り返さないためにも、戦争が十戒の各条項を破るものであることを再認識したい。戦時下では、神ならぬ天皇を現人神として、神社参拝と戦勝祈願が強制された。聖日礼拝は自由に行えず、徴兵制は親子の絆を断ち切った。日本軍は侵略した先々で無数の人を殺傷し、婦女子を暴行し、食糧や物資を盗み、資源獲得を狙った。国内では真実が言えず、報道は統制され、子どもたちには嘘が教えられた。
神ならぬものを神とせず、平和ならぬものを平和と呼ぶこととならないように、平和への思いを新たにしたい。                山下慶親牧師

(コヘレト11:9-12:1;ヘブライ1:32-11:2 7月26日説教「確信を捨ててはいけません」

草葉町教会は二度の大試練に遭遇した。1つは終戦直前の7月1日、空襲で会堂が焼失したことである。もう1つは1953年6月、大水害で会堂・牧師館が浸水被害に遭ったことである。国宗晋兄は教会百年誌に、「前の会堂は(建築後)十年にして焼失、今回は建築後四年にして水魔に襲われる。天意果たして何所にありや」と書いている。しかし、私たちが思い出すべく問いかけられているのは試練自体ではなく、試練を克服していった教会員たちの信仰である。  旧約「コヘレトの言葉」には、「若い日に造り主を覚えよ」という言葉がある。二度の試練を思うと、若い日の信仰を保ち続けて、空襲や水害の中から教会を復興させていった人々について考えさせられる。「ヘブライ人への手紙」の著者は、「自分の確信を捨ててはいけません」と言って、励ましを与える。私たちは、数十年前に焼け跡や泥土となっていた同じ場所に立って、礼拝している。信仰の確信を大事にしていきたいと思う。山下慶親牧師