2009年3月4日水曜日

「命に至らせる香り」(Ⅱコリント2:12-17) 3月1日説教

パウロは「香り」という言葉を4回も用いている。どんな香りが彼の嗅覚に残っていたのだろうか。
  見出しには「パウロの不安と安心」と記されている。パウロにとって、コリントの教会は心配の種であった。しかし、テトスから良い知らせを受けたに違いない。彼は「神に感謝します」と書いた後、ローマの凱旋行進において祭司が振る香炉から漂う香りについて書いている。彼の心は不安から安心に変わっている。
  パウロは「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と述べる。私たちは鼻持ちならない宗教的体臭が漂うことのないキリスト者でありたい。しかし、そうならないためには、いつも心が洗われていなければならない。一度だけの「洗礼」では不十分であり、受洗後も礼拝に出席し、毎月の聖餐式にあずかりながら、心の汚れが洗い流されることが大事である。そのことを通して、「神に献げられる良い香り」「命から命に至らせる良い香り」の一部に加えられるようでありたい。 山下慶親牧師

2009年2月24日火曜日

「教会の姿」(ヨハネの黙示録3:14-22) 2月22日説教

ローマの記者会見で酩酊した中川大臣の姿と来日したクリントン国務長官の姿は対照的であった。私たちは教会としてどのような姿を示しているだろうか。
黙示録にはアジア州の7教会に宛てた手紙が書かれている。7つ目の手紙はラオディキア「教会の姿」を批判し、彼らの信仰について、「冷たくもなく熱くもない」、「なまぬるいので口から吐き出そうとしている」とまで書いている。これらの表現にはラオディキア地域周辺の水事情が反映されている。
阿蘇を水源とする熊本の水は夏でも冷たく、県内各地で湧き出る温泉の水は熱い。私たちは教団熊本地区の11教会・伝道所が示している姿を顧みることが必要である。伝道が困難な時代の中で、「永遠の命に至る水」が湧き出し続けている教会であることを願う。
私たちはイエス・キリストの“霊が諸教会に告げること”(3:22)を聞き取りながら、本日の臨時総会において、来年度の目標や計画を立て、熊本における「教会の姿」をしっかりと示していきたい。
山下慶親牧師

2009年2月17日火曜日

「信仰と笑い」(創世記17:15-19;18:1-12)2月15日説教

 最近、落語の寄席の入場者が増えているという。不景気で笑いが必要とされているのである。「信仰と笑い」には共通点がある。どちらにも、人間が前向きに生きていく知恵が含まれている。
  百歳のアブラハムと九十歳のサラに男の子イサクが誕生する話には笑ってしまう。実際、17章では神から告知を受けたアブラハムが「ひそかに」笑い、18章では妻のサラが「ひそかに笑った」と書かれている。「そんなアホな」とクスクス笑いしているのである。この物語を生み出した「信仰の民」は「笑いの民」でもあったことが分かる。
  このところ、熊本出身の姜尚中(カン・サンジュン)が書いた『悩む力』がベストセラーになっている。私たちは「悩む力」以上に、「笑う力」が必要である。 主イエスは、「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」と言って、「笑う力」を発揮することを求められた。私たちは信仰にしっかりと立つと同時に、笑いを絶やすことなく生活していくようでありたい。 山下慶親牧師

2009年2月4日水曜日

「帰る」(ルカ福音書15:11-32)2月1日説教

日本は大不況のため、パレスチナ・ガザ地区はイスラエルによる空爆のため、多くの人が住む場所を失っている。「放蕩息子のたとえ」は、ホームレスになった青年の話である。彼の場合、経済・政治情勢の悪化ゆえではなく、放蕩した結果のホームレスであり、豚のえさで腹を満たしたいと思うほど最底辺の生活に陥った。しかし彼は「我に返って」、家に帰る決心をする。父親はトボトボと帰って来る弟息子の姿を見て「憐れに思い、走り」寄り、僕たちに祝宴の準備を命じる。このことを知った兄息子は、父親に怒りと不満をぶちまける。
  たとえにおける父親と2人の息子が何を意味しているかは明瞭である。神が父親、律法学者やファリサイ派が兄、罪人と見なされていた人々が弟にたとえられている。私たちの心の中には、この三者の要素が共存しているのではないだろうか。弟息子からは過ちを悔いること、兄息子からは赦す心を持つこと、父親からは私たちの帰還を喜んで迎えてくれる神がおられることを教えられている。
山下慶親牧師

2009年1月29日木曜日

「冬に耕す」(箴言20:4; ルカ6:21) 1月25日説教

 今年の熊本バンド早天祈祷会が近づいた。実行委員長として心配なことは、熊本バンドに関する講演を依頼できる方々が徐々に亡くなられていることである。
  委員会では熊本バンドの物語を記した小冊子『熊本バンドを懐う』の再発行を同志社にお願いした。この冊子は同志社が花岡山に「奉教の碑」を建立した時に発行された。執筆者の三井久先生は戦前の草葉町教会牧師、福田令寿執事は信徒を代表する方であった。文章には熊本バンドへの熱い思いが溢れている。  アメリカでは先週、厳寒のなかオバマ大統領の就任式が行われた。大統領は独立戦争時の真冬を想起させ、アメリカが一体となって現下の苦難の冬を乗り切ることを訴えた。草葉町教会にも想起すべき真冬がある。1876年1月30日、熊本洋学校の生徒35名が花岡山でキリスト者となる盟約を交わしたことである。彼らは激動する日本の中で自分たちの使命を真剣に考えた。日本の教会が「伝道の冬」に見舞われている今、熊本バンドを思い起こし、伝道の熱意を回復したい。
山下慶親牧師

2009年1月22日木曜日

「エゼキエルが見た幻」 (エゼキエル37:15-24;エフェソ2:14-16) 1月18日説教

1月18日から24日までローマ教皇庁と世界教会協議会が設けたキリスト教一致祈祷週間である。南北に分断された韓国の教会がエゼキエル書37章に基づいて今年のパンフレットを作成している。
  エゼキエルは前6世紀の預言者である。イスラエル王国は南北に分裂後、北王国がアッシリアによって、南王国がバビロニアによって滅ぼされていた。エゼキエルはバビロン捕囚下で不思議な幻を見る。37章後半の「二本の木」の幻は、滅亡した南北の王国が再興されて、一つになることを象徴している。エゼキエルの幻は南北統一が悲願の韓国のキリスト者たちにとって、まさに自分たち自身へのメッセージとなっている。
  エフェソ書にも「二本の木」のメッセージが記されている。パウロは、イエスの十字架(交差した二本の木)によって「敵意という隔ての壁」が取り壊され、敵意が滅ぼされていることを告げる。
2009年、世界でも身近なところでも、分裂や敵意が克服されて、人々が一つに結び合わされていくことを願う。 山下慶親牧師

2009年1月13日火曜日

「光を見出し、救いを見る」(ヨハネ1:5; ルカ2:22-38)                     1月11日説教

イエスの両親はユダヤ人の慣習を守っていた。産婦の「清めの期間が過ぎた」時、幼子イエスを連れてエルサレムの神殿に宮詣しているからである。そして、小羊ではなく鳩を犠牲として献げたことから、イエスが貧しい家庭に誕生していたことが分かる。
  大勢の人が宮詣をしている中、貧しい若夫婦の姿は人目につきにくかったと思われる。しかし、2人の老人(シメオンと女預言者アンナ)は、高齢のため視力が衰えていたにもかかわらず、若夫婦と幼子に気づいて喜びを表わした。神殿の祭司たちにしても、各地から宮詣に来た巡礼者たちしても、全く気づいていなかった。2人の老人は、長年の信仰を通して、本当の救いを見る目が備わっていた。  昨今の世相は暗い。しかし、この時代にも暗闇を照らす光が差し込んでいる。私たちは本当の救いを見出す目を持つことができるようでありたい。そして2人の老人のように喜び、この世を照らす光の一部に加えられたいと願う。 山下慶親牧師