2010年1月4日月曜日

「幼い日から親しんできたこと」(Ⅱテモテ1:1-10;3:14-17)12月6日説教

 パウロが第1回宣教旅行でリストラに行った時、テモテの祖母ロイスと母エウニケがキリスト者となった。当時、テモテはまだ子どもであった。パウロが第2回宣教旅行で再びリストラを訪れた時、テモテは祖母と母から立派に信仰を受け継いでいた。この姿を見たパウロは、テモテを宣教旅行の協力者として選んだ。パウロの宣教は、決して単独で行われたのではなく、テモテのような協力者によって支えられたのである。
  パウロはテモテに大きな信頼を置いていた。なぜなら、信仰を捨てて離れ去る同労者たちがいた中で、テモテは献身的な協力者であり続けたからである。伝承によれば、パウロの殉教後およそ30年間、テモテは迫害下のアジア州で諸教会を指導し、殉教の死を遂げたのであった。テモテは祖母や母を通して「幼い日から」聖書に親しみ、信仰が育まれていた。クリスマスには、子どもたちや孫たちと聖書を読み、共に礼拝し祝う最善の機会である。信仰が次世代に継承されていくことを心から願う。 
山下慶親牧師

「苦難を負う救い主」(使徒言行録8:26-40)11月29日説教

ちょうど100年前のクリスマス・イブ、若き神学生・賀川豊彦は僅かの荷物を大八車に載せ、神戸新川のスラムに向かった。極貧の人々の中で生活するためである。賀川は労働運動、農民運動、協同組合運動、平和運動の先駆者として、戦前戦後の世界で最も名前を知られる日本人となる。大衆伝道者、ベストセラー作家、ノーベル賞候補者でもあった。しかし彼は何にもまして、人々の苦難を負おうとする愛の実践者であった。
  使徒言行録8章には、フィリポとエチオピアの高官の出会いが記されている。エルサレムから帰途についた高官は、馬車の中でイザヤ書の「苦難の僕」の箇所を朗読していた。そこに、霊に導かれたフィリポが追いついく。彼は「苦難の僕」が救い主イエスであることを説明する。高官は説明に納得して洗礼を受けた。
  初代教会以来、十字架の苦難を負われたイエスこそがキリスト者にとって救い主である。この信仰に立って、今年のクリスマスを厳粛な思いで迎え、賀川の献身百周年であることも憶えていたい。
山下慶親牧師

探し求めさえすれば」(使徒言行録17:16-34)11月15日説教

 アテネからコリントに着いた時、パウロは「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安で」あった(Ⅰコリント2:3)。アテネでは何があったのだろうか。
  パウロはアテネで哲学者たちと議論を交わしたが、全く理解されず、評議所で尋問を受けた。彼は神による天地創造から説き起こし、イエスと復活について語った。説得力を持たせようと、ギリシア文学からも引用し(17:28)、本当の神は「探し求めさえすれば・・・見いだすことができる」と訴えた。しかし人々は嘲笑し耳を傾けなかった。この反応がパウロを落ち込ませたのである。
  今日の日本はこのアテネと似ていないだろうか。どんな議論もできるし、教会への敵意や迫害はない。そして福音の宣教が多くの人によって耳を傾けられることもないからである。結果として、日本の教会は「長期低落傾向」にある。
  しかし、私たちはコリントに移って、新たな気持ちで宣教を続けたパウロにならいたい。「何とかして何人かでも救うため」に(Ⅰコリント9:23)。山下慶親牧師

「天の故郷を思う」(ヘブライ11:1-3; 7-16)11月8日説教

ヘブライ人への手紙11章では「信仰によって」生きた人々が列挙されている。
  ノアは神の指示に従い、巨大な箱舟を建造した。大洪水が訪れた時、ノアと家族、すべての種の雌雄は、箱舟に乗り込んで救われた。彼は「まだ見ていない事柄」に備えていたが、彼の行為は周囲の人々の目には愚かなことであった。
  草葉町教会の会堂は、床が海の色で3階構造、ステンドグラスでは鳩がオリーブの葉をくわえている。まさにノアの箱舟である。永眠者となっている20年前の教会員たちは、現代における救いの箱舟のため資金と労力を惜しまなかった。
  アブラハムも目に見えないものに目を注ぎ、「信仰によって」「行き先も知らずに出発した」。教会の永眠者たちも「信仰によって」戦中戦後を生き抜き、人生の試練や病気に立ち向かわれた。永眠者記念日にあたって、私たちもノアやアブラハムのように「天の故郷」を思いながら、「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認」しつつ「信仰によって」生きていくようでありたい。山下慶親牧師

「苦難をも誇りとする」(マタイ7:13-14; ローマ5:1-5)11月11日説教

  マルティン・ルターは免罪符を発行していたカトリック教会に抗議して、宗教改革を起こしていった。免罪符は罪の赦しを金で買うことであり、「滅びに通じる広い門」であった。ルターは身の危険を覚悟で教皇を批判した。それはまさに「狭い門」から入ることであった。
  ルターに因んだ名前を持つキング牧師も、困難の多い「狭い門」から入る生き方をした。差別の少ない北部に残るのではなく、人種差別が渦巻く南部の教会に赴任することを選んだからである。
  私たちはルターやキング牧師ほど偉大ではないが、予期しなかった事態が生じて「狭い門」の前に立たされることがある。星野富弘さんの場合には、体育館の事故で重度の障害を負った。彼の前途に「狭い門」いや「閉ざされた門」が立ちはだかったのである。しかし、彼は試練に立ち向かい、打ち勝っていった。  イエスは十字架上での死という「狭い門」に向かって行かれた。私たちの前には、さまざまな「狭い門」がある。しっかりとした生き方を貫きたいと思う。   山下慶親牧師

「アダムのあばら骨」(創世記2:19-25; Ⅰコリント11:2-16)10月25日説教

「アダムのあばら骨」  山下慶親牧師
  (創世記2:19-25; Ⅰコリント11:2-16)
  コリントの教会には多くの問題があり、女性たちも問題の原因となっていた。パウロは事態改善のため手紙を書き送っている。しかし、手紙には、現代の私たちを戸惑わせる表現が見られる。
  パウロは11章で、女性は礼拝の場で頭にかぶり物をすべきだと述べている。彼は、神―キリスト―男―女という序列を本来の秩序と考えており、エバがアダムのあばら骨から造り出されたことを根拠としている。パウロは2千年昔のユダヤ人であり、当時の男性優位の考え方に影響されていたことは否定できない。
  しかし、パウロには、イエス・キリストにおける新しい人間観も抱くようになっていた。「主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません」という文章がそのことを示している(11:11)。
  私たちの考え方は、日本の今の時代と社会から影響や制約を受けている面がある。しかし、イエス・キリストにおける新しい生き方や考え方が少しでも身についていくようでありたい。
山下慶親牧師

「身内の人に知らせなさい」(マルコによる福音書5:1-20)10月18日説教

「身内の人に知らせなさい」山下慶親牧師
    (マルコによる福音書5:1-20)
  イエスと弟子たちの一行がゲラサ人の地方に着いた時、「悪霊に取りつかれた」男が墓場から現れた。男はイエスから名前を尋ねられ、「レギオン」と答える。レギオンとは6千人編成のローマ軍団である。それだけ多くの悪霊に取りつかれていると思うほど、大きな精神的苦しみを負っていたのである。彼はイエスによって悪霊が追い出されて正気になる。
  この物語はイエスによる癒しの物語の1つである。この男の場合、イエスと「一緒に行きたい」と願い出る。しかしイエスはそれを認めず、家に帰って、自分に生じたことを「身内の人に」知らせるように言われた。その後、男は身内の範囲を超えて広くデカポリス地方に、自分の身に生じたことを伝えた。ここに伝道の原点がある。すなわちイエスによって自分の身に生じたことを語ることである。私たちには、自分しか語ることのできないイエスとの出会いがある。伝道は牧師だけがすることではない。イエスによって悪霊を追い出してもらった男の姿に学び、伝道の働きを担うようでありたい。山下慶親牧師