2008年11月15日土曜日

「宝が土の器に」(Ⅱコリント4:7-15) 11月6日説教

人間は有限な存在である。平均寿命が百歳にのびても、この事実は変わらない。
 創世記第2章の創造物語は、神が人間を土の塵で造られたと記している。人間は土の塵から造られて、土に帰っていく存在である。
  パウロはコリントの信徒たちに宛てて、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」と書き送っている。パウロはもともと誇り高い人間であった。その彼が、謙虚にも自分たちは「土の器」だと語っている。彼は回心によってイエス・キリストこそが宝であり、その宝と比較すると、自分たちは土の器でしかないと考えたのであった。
  私たちは確かに有限な存在であり、土の器でしかない。しかし、私たちが目を向けるべきは、土の器に宝が納められていることである。パウロは、この宝によって、「外なる人」は衰えても、「内なる人」が日々新たにされると述べている。私たちは、自分たちのうちに納められている宝を大切に保ちながら、「日々新たにされて」歩んでいきたい。                            山下慶親牧師