2009年2月4日水曜日

「帰る」(ルカ福音書15:11-32)2月1日説教

日本は大不況のため、パレスチナ・ガザ地区はイスラエルによる空爆のため、多くの人が住む場所を失っている。「放蕩息子のたとえ」は、ホームレスになった青年の話である。彼の場合、経済・政治情勢の悪化ゆえではなく、放蕩した結果のホームレスであり、豚のえさで腹を満たしたいと思うほど最底辺の生活に陥った。しかし彼は「我に返って」、家に帰る決心をする。父親はトボトボと帰って来る弟息子の姿を見て「憐れに思い、走り」寄り、僕たちに祝宴の準備を命じる。このことを知った兄息子は、父親に怒りと不満をぶちまける。
  たとえにおける父親と2人の息子が何を意味しているかは明瞭である。神が父親、律法学者やファリサイ派が兄、罪人と見なされていた人々が弟にたとえられている。私たちの心の中には、この三者の要素が共存しているのではないだろうか。弟息子からは過ちを悔いること、兄息子からは赦す心を持つこと、父親からは私たちの帰還を喜んで迎えてくれる神がおられることを教えられている。
山下慶親牧師