2009年5月21日木曜日

「パウロの感謝」 (フィリピ4:10-20)5月17日説教

35年前、米国・合同キリスト教会(UCC)で牧師となる按手礼を受けた。それ以降、東京、タイ、京都、滋賀、熊本の教会や大学で働いてきた。いろんな方から支えられ助けられたことを思い出す。
  伝道者パウロは第2回宣教旅行の時、計画変更を余儀なくされた。挫折感に襲われていたであろう。しかし、彼は夢枕に現れたマケドニア人の幻に応えて、トロアスの港から船出した。
  マケドニアの最初の宣教地フィリピでは家族全員での改宗者も与えられた。その後、フィリピの人々はパウロの活動を物心両面で支え続けていく。パウロの投獄を聞いた時には、エパフロディトを派遣して世話をさせた。フィリピの信徒への手紙は、フィリピの人々の心遣いとパウロの感謝の思いで満ちている。
  相互に信頼関係があり、憶え合っていることは、どれほど大きな励ましになるだろうか。私たちは獄中のパウロからも、フィリピの信徒たちからも、キリスト者として、教会として基本的なあり方を示されている。 山下慶親牧師

「この子を主にゆだねます」(サムエル上1:21-28;マタイ20:20-28)5月10日説教

  子どもがいないハンナは祈りが神に聞かれて、幼子が誕生した。彼女は乳離れしたサムエルを「主にゆだねる」ため祭司エリに預けた。私たちもハンナのように、子どもを主にゆだねて成長を願うことが大切ではないだろうか。
  ハンナとは対照的に、ヤコブとヨハネの母は実に自分本位である。イエスが王座に着く時、息子2人がイエスの左右に座れるように願っているからである。
私たちは信仰的なハンナには遠く及ばない。しかし自分本位なヤコブとヨハネの母のようにはなりたくない。2人の母の中間に位置している存在である。
  福音書や伝説によると、ヤコブは12弟子で最初の殉教者となり、長寿を全うしたヨハネはキリスト教迫害下のエフェソで指導的役割を果たしたという。きっとヤコブとヨハネの母は自分本位な姿から信仰者の姿へと変えられ、2人の息子にしても「主にゆだねられて」歩む者となったのであろう。私たちも、自分の身が主にゆだねられた者として生涯を全うしていけるようでありたい。 山下慶親牧師

「私たちは復活の証人」(Ⅰコリント15:1-11)5月3日説教

ゴールデン・ウィークは家族で一緒に過ごせる数少ない休暇である。連休を大事にしたいと思う。
  私たちキリスト者には2つの家族がある。血縁の家族と信仰の家族である。イエスが始められた運動には、血縁の家族を超えさせる特徴があった。弟子たちは自分の家族から離れてイエスに従い、イエス御自身も家族から離れておられた。
  15章の記事には、復活したイエスが、パウロに至るまで6回に及んで姿を現されたことが記されている。イエスは直弟子たちだけにではなく、「五百人以上もの人々」や迫害者であったパウロにも現れている。復活の現れが実に広範囲に及んでいることが分かる。パウロは、復活したイエスの証人として、ローマ帝国各地に福音を伝え、教会を設立していった。今日の時代において、私たちはイエス復活の証人である。初代教会のキリスト者たちのように、復活したイエスに励まされ導かれながら、「信仰の家族」として共に「新しい命」(ローマ6:4)に生きていきたい。         山下慶親牧師