2009年5月1日金曜日

「新しい命に生きる」(ローマ6:3-5; コロサイ3:1-14)5月24日説教

パウロは、私たちキリスト者は「洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものになりました」と言う。洗礼で大事なことは、古い自分に死ぬことである。全身が水中に沈められる浸礼の洗礼は、古い自分に死ぬことを強く実感させる。しかし、私たちの多くが受けた滴礼としての洗礼も、象徴的に意味していることは同じである。
  パウロは、キリストの死の姿にあやかるならば、復活の姿にもあやかれると言う。私たちは、古い自分に死ぬだけでなく、キリストの復活の姿にあやかって、新しい命に生きることが大事である。私たちは、古い自分と訣別して、新しい生き方をしているだろうか。
  コロサイの信徒への手紙では、「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから」という表現がなされている。私たちは、洗礼を受けたことによって、キリストと共にすでに復活させられている。キリストの死と復活を無にすることなく、絶えず「上にあるもの」を求める生き方をしていきたいものである。                                              山下慶親牧師