2009年4月23日木曜日

「賜物を生かし合う」(Ⅰコリント12:27-31a)4月19日説教

バラク・オバマの選挙キャンペーンのスローガンは、「イエス、ウィー・キャン」であった。この表現はイエスの復活を説明するうえで有用である。なぜならば、復活の物語には「イエス、ゴッド・キャン」という主張があるからである。
神(ゴッド)は、死んだイエスを復活させただけでなく、弟子たちにも大変化をもたらした。彼らが勇気を出して福音を宣教し、生前のイエスの活動を継承するようになったからである。彼らは「イエス、ウィー・キャン」という大発見をすることとなった。イエスの復活は単なる昔話ではない。復活したイエスは、これまでの歴史において、多くのキリスト者たちに「イエス、ウィー・キャン」という幻を与え、さまざまな先駆的事業を可能にし、導いてきた。
パウロはコリントの信徒たちに「もっと大きな賜物を受けるように」勧める。私たちは互いの異なった賜物を生かし合いながら、現代の宣教について、「イエス、ウィー・キャン」という言葉が口をついて出てくるようでありたい。 山下慶親牧師

2009年4月20日月曜日

「イエスは子ろばに乗って」(マタイ21:1-11)4月5日説教

 棕梠の主日から受難週が始まる。イエスが十字架上で苦難を負われたことを追憶する時である。
  イエスは固い決意を抱いて、権力の中枢エルサレムに向かわれた。人々が歓呼する中、イエスは子ろばに乗って入城された。旧約ゼカリア書には、勝利者となった王が子ろばに乗ってやって来られるという預言がある。
  ろばと馬は対照的である。馬は戦争で用いられ、権威や権力の象徴である。この世の支配者たちは馬に乗った姿を誇示する。馬と比べて、ろばは小さく貧弱であり見劣りがする。しかし馬からの目線が見下すのと比べて、ろばからの目線は歩く人間と同じである。神からの救い主が子ろばに乗ってエルサレムに入城されたことの意味は深くて大きい。この世の権力に立ち向かう意志と人々の目線に立つ謙虚さが示されているからである。
  2009年度を謙虚に歩み始めたい。それと同時に、心の内には、この世の悪や不正義に屈することのない信仰的な力を秘めていたい。        山下慶親牧師