2010年4月8日木曜日

「誰にも言えない?」( マルコ福音書16:1-8 )4月4日説教

「復活する」との表題が付けられたこの場面。ところが「復活の主の顕現」をまったく記さず、「恐ろしかったからである(8節)」と突然終えるマルコ福音書は、私達に何を伝えようとしているのか。それはイースターの出来事が「驚くべき出来事」だと言うこと、そして、この神の御業を前に、驚きのあまり沈黙するしかない人間の限界を示している。婦人たちの願い・期待は、「死んだイエスに仕える」と言う事であり、そのために墓をふさぐ石を「どうにかしてほしい」と言うものだった。ここまでが人間の期待・願望である。所が石は既に脇に転がされ、主は復活したと言う。人間の思い・願い・期待を超えて、神の業が働く。私達の期待や願望を超えて、神の業が働く。それは確かに、一瞬躊躇してしまうことだろう。しかし、さらにそこから一歩を踏み出すことが私達に求められている。「全ての障害になる壁を、私は今、取り除いた。さぁ、あなたはどうするのか」との神の呼びかけに、しっかりと応答して、新しい一歩を踏みだそう。    難波信義牧師