2009年6月25日木曜日

(マタイ17:14-20; 使徒3:1-8)「からし種一粒ほどの信仰」6月21日説教

イエスは弟子たちに、「からし種一粒ほどの信仰」もないと言われた。彼らが癒しの権能を授けられていたにもかかわらず(マタイ10:1)、病人を癒せなかったからである。日本におけるプロテスタント伝道150年の今年、新型インフルエンザが流行している。イエスは日本の伝道不振を嘆いて、からし種よりもはるかに小さな「ウィルス一つほどの信仰」もないと言われるかもしれない。
ウィルスには強力な増殖力と感染力がある。私たちの信仰には人々を生かす福音の増殖力と感染力が備わっているだろうか。江戸時代から明治初期、日本の権力者たちは、キリスト教が悪病であるかのように侵入を阻止しようとした。しかし福音は日本に入り、感染力を発揮して多くの人を新しい命へと導いた。
福音はウィルスと同じように人から人に伝わる。しかし病気や死に至らせるのではなく、喜びや命に至らせる。「からし種一粒ほどの信仰」を発揮して、歴代のキリスト者たちのように、山をも移す働きをなすことに加わっていきたい。                                   山下慶親牧師

(マルコ10:13-16;ガラテヤ3:26-29)「みんな神さまの子ども」 6月14日説教

イエスは弟子たちに、「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言われた。「子どもの日」(花の日)の合同礼拝にあたって、「子どものようになる」ことについて考えたい。
私は『少女ポリアンナ』の物語が好きである。両親を亡くしたポリアンナはポリーおばさんに引き取られる。彼女は試練の中で明るく生きていく。周囲の大人たちの心も明るくされていく。その秘訣は父親から教わった「良かった探し」にあった。どんなことの中にも良いことを見つけ出すゲームである。百年前のこの物語は、親を亡くした多くの子どもたちを励ましたことであろう。
  先週、アメリカの国際ピアノ・コンクールで辻井伸行さんが優勝した。全盲という試練の中で、両親、本人、周囲の人々が協力して「良かった探し」をした結果であったと言えないだろうか。私たちは、大人も子どもも、みんな神様の子どもとして、ポリアンナのように「良かった探し」ができるようでありたい。
山下慶親牧師