2008年12月13日土曜日

「目と耳を澄まして待つ」(マタイ24:36-44)12月7日説教

  救い主の御降誕を待つ待降節(アドベント)に入っている。私たちはどのように待つのだろうか。
マタイ福音書は終末に関するイエスの言葉を、24章から25章に寄せ集めている。10の見出しが付されていて、裁きの日が突如到来することが共通点となっている。今年の中国の大地震、ミャンマーのサイクロン、世界的金融危機は聖書のメッセージの現代性を感じさせる。私たちは目を覚ましていなければならない。
  災いだけでなく、幸いについても、目を覚ましていることが求められる。降誕物語では、夜通し目を覚まして番をしていた羊飼いたちと、東方の国で星の研究をしていた学者たちが、救い主の誕生を告げられている。祭司や律法学者、国王や都市住民は全く気づいていなかった。
 神殿にいた2人の高齢者シメオンとアンナは幼子を一目見て、救い主だと分かった。歴史の中で「目を覚まして」救い主の到来を待っていたからである。  私たちは心を静め、目と耳を澄まして、クリスマスの日を待つようにしたい。                            山下慶親牧師