2010年3月31日水曜日

「二つのing」(マルコ福音書3:13-19; 31-35)3月28日説教

主イエスによる12弟子の招きと任命は、教会がイエス・キリストの働きの委託から始まったことを示す。イエスと共にいること、宣教すること、癒すことがそれである。12弟子は、ペンテコステで宣教の広がりを果たす、役割の多様性を備えていた。12の数字は主イエスが12部族連合からなるイスラエルの再生を意図したことがうかがえる。主イエスが示す真の家族のあり方は、信仰共同体が血縁に基づく結びつきを越えた新しい原理、神の意志を中心に結びつくべきことを教える。これらの記事を通じて私たちは、教会のあり方に関する課題について考えさせられる。主イエスの教えはイスラエルの伝統の新たな再生を示すと理解できよう。アブラハムへの祝福の約束を基礎とする民の歩みは部族のあり方を変え続けながら持続してきた。教会もUnitingを目指して歩み続けるべき。また既成の価値を問うことは主イエスに発する改革者の姿勢である。信仰の完成を目指して我々もReforminngし続けたいものである。 棟方信彦牧師

2010年3月30日火曜日

「もう一度試みる」(マタイ25:14-30; ルカ13:6-9)3月21日説教

この説教は山下牧師、熊本滞在5年間の最後の説教です。

熊本草葉町教会で5年間働いたが、教勢は伸びなかった。「タラントンのたとえ」では、3人の僕(しもべ)が、主人の不在中、タラントンを預けられている。主人が戻ると、2人の僕は預けられた金額を倍にしたと報告する。3番目の僕は、タラントンを「地の中に隠して」いたと報告し、主人から厳しい処罰を受ける。
 草葉町教会にはさまざまなタラントンが預けられている。私たちはそれらを生かして用いただろうか。私たちは何もしなかったのではない。しかし教勢衰退傾向の現実を無視することはできない。
 もう1つの聖句では、実らないいちじくを切り倒せと言う主人に対して、園丁がもう1年待ってほしいと懇願する。園丁の胸中には来年こそ実が結ぶようにしたいという熱い思いがある。
 少子高齢化の中、教勢の伸展は困難な課題である。働きの成果を出しにくい。しかし園丁のような気持ちになって、「もう一度試みる」ことを目指したい。そのことが、年度末の牧師交代にあたって問いかけられている。     山下慶親牧師

「熊本で聞いたチョッといい話」(ヨハネ20:30-31; 21:25)3月14日説教

ヨハネ福音書も20章と21章の終わりで、著者が強調していることがある。それはイエスが行われたしるしが世界に収め切れないほどあるということである。実際イエスのわざは1世紀前半だけに限られてはいない。イエスは今も生きて働いておられるのであり、そのことを熊本においても見出すことができる。熊本での在任5年において、私は「チョッとイイ話」をたくさん知ることになった。
 例えば小笠原玄也と妻みやの殉教の話。熊本洋学校生徒たちの花岡山での結盟。ハンセン病患者のために尽くした女性宣教師リデルとライト。救命ボートに乗る順番を他の乗船客に「どうぞ、お先に」と譲り続けた弘津正二。香港の捕虜収容所で命がけの人道的行動を取った渡辺潔牧師。最近では「こうのとりのゆりかご」や「いのちの電話」の働き。また、「チョッといい話」は私たちの教会の召天者たちの生涯にもはっきりと見出すことができる。私たちが残す生涯も、イエス・キリストの姿を少しでも映し出すことになるようでありたい。    山下慶親牧師

「互いに重荷を担いなさい」(マタイ11:28-30; ガラテヤ6:1-10)2月28日説教

「マタイ」と「ガラテヤ」の3ヵ所に書かれた「重荷」という言葉から気づかされることがある。それは重荷に対処する仕方について、3つのレベルがあるということである。
 第1のレベルはマタイ11:28で、イエスは「重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい」と言う。私たちはイエスのもとに行くことで重荷が軽くされる。第2のレベルはガラテヤ6:2で、パウロは「互いに重荷を担いなさい」と書いている。重荷は互いに担い合うことで軽く感じられるようになる。第3のレベルは、ガラテヤ6:5の「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」という言葉である。自分でしか担えない重荷があり、しっかりと「自分の十字架を背負って」(マタイ16:24)生きていくことが大事である。
 「重荷」に関して第4の最高レベルがある。黒人霊歌は、「重荷を降ろしてください、主よ。私は重荷を降ろしましたから」と歌う。イエスの重荷(十字架)に心を配る優しさが現れ出ている。受難節の時、自分たちの重荷を担い直したい。              山下慶親牧師

「誇る者は主を誇れ」(士師記7:2-7; Ⅰコリント1:26-31)2月21日説教

 日本が日露戦争に勝利したのは1905年。しかし40年後、日本は第二次大戦で敗北し多くの犠牲者を出した。その敗戦から40年、経済成長を遂げた日本はバブル景気に浮かれたが、バブルははじけた。草葉町教会は戦後4年目、空襲で焼けた会堂をやっと再建した。戦後の経済成長に並行して教勢は伸び、1989年(バブル崩壊前年)絶頂期を迎えた教会は立派な現会堂を建設した。そして間もなく、教会内には深刻な諸問題が生じることとなった。西独元大統領ヴァイツゼッカーは戦後40年目の1985年、「荒れ野の40年」という演説で「40年の歳月」が人間の意識に重大な影響を及ぼすことを述べた。確かにそうなのかもしれない。
 ギデオンが登場する前後にも「40年」が出てくる。40年の中で民の心には奢りが生じるのである。神がギデオンに300人の少数兵力で戦わせたのは民の心がおごらないようにするためであった。私たちは教会として謙虚な歩みをしていきたい。誇るのは自分たちではなく、十字架にかかられた「主を誇り」として。 山下慶親牧師