「マタイ」と「ガラテヤ」の3ヵ所に書かれた「重荷」という言葉から気づかされることがある。それは重荷に対処する仕方について、3つのレベルがあるということである。
第1のレベルはマタイ11:28で、イエスは「重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい」と言う。私たちはイエスのもとに行くことで重荷が軽くされる。第2のレベルはガラテヤ6:2で、パウロは「互いに重荷を担いなさい」と書いている。重荷は互いに担い合うことで軽く感じられるようになる。第3のレベルは、ガラテヤ6:5の「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」という言葉である。自分でしか担えない重荷があり、しっかりと「自分の十字架を背負って」(マタイ16:24)生きていくことが大事である。
「重荷」に関して第4の最高レベルがある。黒人霊歌は、「重荷を降ろしてください、主よ。私は重荷を降ろしましたから」と歌う。イエスの重荷(十字架)に心を配る優しさが現れ出ている。受難節の時、自分たちの重荷を担い直したい。 山下慶親牧師