2009年7月16日木曜日

 (ルカ福音書5:17-26)7月12日説教「瓦をはがす」

古代ユダヤでは、病気は自分の罪が原因だと考えられた。重病は大きな罪を犯したからであった。そのため不治の病の人々は身体的重荷に加えて、罪人という心理的・宗教的重荷が課せられていたことになる。このことを考えると、イエスが病気を癒された時、「罪は赦された」と宣言された背景が分かる。
  「罪を赦す権威」を持つイエスには、豊かな人間性があった。そのことは重い皮膚病の人を癒された時、社会的タブーを犯して、「手を差し伸べてその人に触れ」られたことからも分かる(ルカ5:13)。このようなイエスは、中風の人を運んで来た人々の熱心な思いに目をとめられた。彼らは病人をなんとかしてイエスに会わせるため、屋根の瓦をはがして床ごとつり降ろした。イエスは病人を思い遣る彼らの期待に応えて、癒しの奇跡を行われたのであった。
  現代でも奇跡は起こる。屋根の瓦まではいだ人々のように、なんとかしてイエスに会わせようと労を惜しまない人々がさまざまな場所で求められている。  山下慶親牧師

(Ⅱコリント13:11-13)7月5日説教「恩寵のもとで」 

同志社の神学生・辻密太郎は、1885年7月1日、熊本に向けて京都を出発した。9ヶ月の滞在で21名の受洗者が出て、教会の基礎が築かれた。しかし伝道は困難で、熊本英学校閉鎖後は教会の存亡さえ危うかった。教会創立百周年の記念誌を読むと、さまざまな困難があったことが分かる。財政以上に無牧期が大きな困難であったが、信徒の福田令寿さんや国宗晋さんが説教を担当して礼拝が継続された。
  三井久牧師赴任後、熊本バンド記念会堂を建築し、関係資料保存の計画が立てられた。1936年、会堂完成。しかし新会堂は熊本空襲で全焼、貴重な資料も失われた。7月1日は「創立」記念日であると同時に「焼失」記念日となっている。4年以上会堂がなかったが、礼拝は続けられた。教会を愛する人々の熱意があったこと、神の「恩寵のもとで」歩むことの意味を考えさせられる。  来年は創立125周年。百年以降の歴史も書き残すことが大事である。幾多の問題は今もあるが、主に信頼し、先達に続きたい。神の豊かな恩寵があることを祈る。 山下慶親牧師

(マルコ13:1-2; ヨハネ14:25-31)6月28日説教「何を残すか」    

 内村鑑三は1894年「後世への最大遺物」という講演で、後世に残したいものを挙げた。うち三つは金、事業、思想である。しかしそれらを残すには才覚、力量、能力が必要である。内村は四つ目として、誰でも残せる「最大遺物」があり、それは「勇ましい高尚なる生涯」だと言う。信仰者の生涯をしっかりと生きることが「最大遺物」だと言うのである。
マルコ福音書には、壮麗な神殿に感嘆する弟子たちに、イエスが建物の崩壊を預言した話が記されている。古来、権力者は権勢誇示のため巨大建造物を建ててきた。ヨハネ福音書では、イエスが弟子たちに平和を残すと言い、「心を騒がせるな」「おびえるな」と言われたことが書かれている。歴史で明白なことは、イエスが弟子たちの心に残したものが大帝国の遺物よりも堅固だったことである。
私たちは、キリスト者として、内村の言う「勇ましい高尚なる生涯」を送れるようでありたい。草葉町教会の現会堂は堅固である。しかし、それ以上に、イエス・キリストの言葉は堅固である。 山下慶親牧師