古代ユダヤでは、病気は自分の罪が原因だと考えられた。重病は大きな罪を犯したからであった。そのため不治の病の人々は身体的重荷に加えて、罪人という心理的・宗教的重荷が課せられていたことになる。このことを考えると、イエスが病気を癒された時、「罪は赦された」と宣言された背景が分かる。
「罪を赦す権威」を持つイエスには、豊かな人間性があった。そのことは重い皮膚病の人を癒された時、社会的タブーを犯して、「手を差し伸べてその人に触れ」られたことからも分かる(ルカ5:13)。このようなイエスは、中風の人を運んで来た人々の熱心な思いに目をとめられた。彼らは病人をなんとかしてイエスに会わせるため、屋根の瓦をはがして床ごとつり降ろした。イエスは病人を思い遣る彼らの期待に応えて、癒しの奇跡を行われたのであった。
現代でも奇跡は起こる。屋根の瓦まではいだ人々のように、なんとかしてイエスに会わせようと労を惜しまない人々がさまざまな場所で求められている。 山下慶親牧師