2009年1月13日火曜日

「光を見出し、救いを見る」(ヨハネ1:5; ルカ2:22-38)                     1月11日説教

イエスの両親はユダヤ人の慣習を守っていた。産婦の「清めの期間が過ぎた」時、幼子イエスを連れてエルサレムの神殿に宮詣しているからである。そして、小羊ではなく鳩を犠牲として献げたことから、イエスが貧しい家庭に誕生していたことが分かる。
  大勢の人が宮詣をしている中、貧しい若夫婦の姿は人目につきにくかったと思われる。しかし、2人の老人(シメオンと女預言者アンナ)は、高齢のため視力が衰えていたにもかかわらず、若夫婦と幼子に気づいて喜びを表わした。神殿の祭司たちにしても、各地から宮詣に来た巡礼者たちしても、全く気づいていなかった。2人の老人は、長年の信仰を通して、本当の救いを見る目が備わっていた。  昨今の世相は暗い。しかし、この時代にも暗闇を照らす光が差し込んでいる。私たちは本当の救いを見出す目を持つことができるようでありたい。そして2人の老人のように喜び、この世を照らす光の一部に加えられたいと願う。 山下慶親牧師