マリアへの受胎告知の場面。マリアはこの時、ヨセフと婚約していた。もうすぐ始まろうとするヨセフとの結婚生活に期待で胸をふくらませていた。そんな時に、神のメッセージが伝えられた。「身ごもって男の子を産む。(31節)」この言葉によって、彼女は自分の計画を放棄しなければならなくなった。「どうして、そのようなことがありえましょうか。
(34節)」とのマリアの反応だが、このマリアの言葉を、原文から訳し直すと「神が私を通して何をしようとされているのか」となり、つまりマリアは神の計画を受け入れつつ、神に期待しているのだ。私たちは自分の人生で、その計画を放棄せざるを得ない新たな事態に直面した時に、何を求めるだろうか。あくまで自分を満足させる回答を得ようとするのか。それともその新たな事態を通して神が私たちの上になされようとする事に期待をし、耳を傾けようとするのか…。
マリアの答えには、彼女の抱いた神への「期待」が隠されていた。ゆえに私たちも、神の業を自分の限られた知識で確かめる事に力を注ぐのではなく、その御業に委ねていく者でありたい。その事を、この場面は私たちに教えている。 難波信義牧師