2009年3月4日水曜日

「命に至らせる香り」(Ⅱコリント2:12-17) 3月1日説教

パウロは「香り」という言葉を4回も用いている。どんな香りが彼の嗅覚に残っていたのだろうか。
  見出しには「パウロの不安と安心」と記されている。パウロにとって、コリントの教会は心配の種であった。しかし、テトスから良い知らせを受けたに違いない。彼は「神に感謝します」と書いた後、ローマの凱旋行進において祭司が振る香炉から漂う香りについて書いている。彼の心は不安から安心に変わっている。
  パウロは「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と述べる。私たちは鼻持ちならない宗教的体臭が漂うことのないキリスト者でありたい。しかし、そうならないためには、いつも心が洗われていなければならない。一度だけの「洗礼」では不十分であり、受洗後も礼拝に出席し、毎月の聖餐式にあずかりながら、心の汚れが洗い流されることが大事である。そのことを通して、「神に献げられる良い香り」「命から命に至らせる良い香り」の一部に加えられるようでありたい。 山下慶親牧師