2014年7月24日木曜日

7月20日の説教要旨

「悪いパン種に気をつけよ」
(マルコ8:14-21) 難波信義牧師

「ファリサイ派の人々のパン種とヘロ
デのパン種によく気をつけなさい」(15
節)とイエスは言われた。
ファリサイ派は宗教的な人々の代表格
であり、信仰熱心な人々である。彼らは
一生懸命に戒律を守るが、裏を返せば、
「とにかく形式的にでもちゃんと義務を
果たして、それで神さまから良いものを
いただこう」と、神との取引をしている。
ヘロデ派は、ヘロデを支持する政治的
なグループであり、ヘロデの権力の恩恵
に与っている人たちである。神さまの事
を考えず、この世の権力や人間の持って
いるものに重きを置いている。
一見、相反する二つのグループだが、
共通点がある。それは「人間の方向にし
か目が向いていない」という事である。
ファリサイ派は「人間の行い」が気にな
る。それによって神の賜物が変わってし
まうと思っているから。ヘロデ派は「人
間の持っているもの」が気になる。つま
りどちらも、神の方を向いているのでは
なく、人間の方を向いているのだ。イエ
スはその事を指摘するために「気をつけ
なさい」と言われたのだ。
さらに、それまでの圧倒的な神の恵み
の豊かさに目を向けさながら(19-20節)、
「あなたたちは、既にそのような神の恵み
の中にいる。その事に気付きなさい」と
示される。
7月13日の説教要旨

「神の支配・人間の支配」
(マルコ6:14-29) 難波信義牧師

ヘロデはヨハネを牢につないでいたが、
「ヨハネは正しい聖なる人であることを知
って、彼を恐れ、保護し、また、その教
えを聞いて非常に当惑しながらも、なお
喜んで耳を傾けていた(20節)」。しかし
ヘロデは、結局ヨハネを殺すことになる。
しかも自分の誕生日の祝いの席で、「王は
非常に心を痛めたが、誓ったことではあ
るし、また客の手前、少女の願いを退け
たくなかった(26節)」ために、ヨハネ
を処刑した。ヘロデは、ヨハネを正しい
と知り、ヨハネの語る神の言葉に耳を傾
けていながら、自分の立場を守るため、
周囲の人々の関係の中で面目を保つため
に、ヨハネを、すなわち「神の言葉」を
殺したのだ。神を恐れるよりも、人を恐
れ、その人間の支配の中で、いとも簡単
に「神の言葉」を殺したのだ。
しかし聖書は、この出来事を基点とし
た前後に、神の支配が豊かに広がってい
った事を報告している。前後の場面に、
イエスによる弟子たちの派遣と、帰還し
た弟子たちの報告の場面がある。このよ
うに、人間の支配が取り囲んでしまって
いるように思える状況の中で、神の支配
がその全てを包んでいる、その恵みが、
豊かに示されている。神の支配に気付き
ながら、感謝して歩む私たちでありたい
7月6日教会創立記念礼拝 説教要旨

「油断せず、目を覚まして」
(マタイ25:1-13)
西澤他喜衛牧師(甲東教会)

かつて「油断大敵」(堺屋太一著)とい
う本を読んだことがある。日本という国
家戦略的な油を巡る、特に中東の石油危
機との関連で書かれた本である。
本日の聖書箇所は、「『十人のおとめ』
のたとえ」で、ユダヤにおける結婚式の
情景であり、夜に新郎新婦の到着を「あ
かり」をともして待つのが「おとめ」た
ちの役割である。「おとめ」たちの油の用
意の姿は二分した。
この譬えは、1節に「天の国は次のよ
うにたとえられる」とあるとおり、神の
国はどういうものであるかを語る。
それを6節の「真夜中に」という状況
を、この譬えの中心に置いている。「真夜
中に」という言葉に代表されるように、
容赦ない厳しさでこの世に向かって語ら
れるのがイエス・キリストの宣教の中心
である神の国の福音である。
花婿が来た。突如として起こった危機
的な状況において人間に要求されるのは、
悔い改めて福音を信じることであり、油
の用意とは、人間の目前の善悪よりも、
人間の根源的なところでの「切り替え」
を求めている。「戸が閉められる(10節)」
前に。
6月29日説教要旨

「神に向かって声をあげ」
(使徒4:13-31) 難波信義牧師

聖霊降臨の出来事(2章)によって力
強く宣教を開始した弟子たちだったが、
その最初から困難があったことを、示さ
れた場面は伝える。すなわちペトロとヨ
ハネによる宣教に対する、ユダヤ教指導
者たちからの脅迫である。釈放された二
人は、すぐに仲間のもとに行き、出来事
を共有する(23節)。現実を認め、共に
この現実に向き合うことができたのは、
神への信頼があったから・祈ることを知
っていたからである(24節)。このよう
に「祈り」とは神へと目を転じることか
ら始まる。目の前の問題の大きさにでは
なく、その背後におられる神の大きさに
目を向けるのである。この絶対的信頼の
中で、彼らは神に叫び求める。「彼らの脅
しに目を留め(29節)」と。彼らは脅迫
されている現状を、そのまま神に訴えた。
さらに、神ご自身が手を伸ばしてくだ
さることを祈り求めた(30節)。実際に
手を伸ばすのは彼らだが、その手に、御
手を添えてくださいと祈るのである。私
たち祈り求めることも、このことである。
神が、この私を通して、現実に手を伸ば
してくだい、という祈りである。
この祈りに「聖霊の満たし」によって
応えてくださった神に、私たちも信頼し
て歩もう。