ここで注目すべきは弟子たちの質問である(2節)。この背景には、「病気や不幸は皆、罪に対する正当な罰だ」という「応報思想」がある。
しかし、イエスは「本人でも、両親でもない(3節)」と答える。この言葉は、自らの「病」が応報思想から来る「罪の現れ」であると信じ、社会的抑圧を当然の事として受けて来た人々への、驚きと解放の言葉ではないか。と同時に、私達に対する、意識の変革を求めているようにも感じられる。
更にイエスは言う。「神の業がこの人に現れるためである(同上)」と。「この病人において、神の業が明らかにされるべきである」「病を通して神の業は豊かに実現する」と語る。
私達の「意識」によって犯してしまった、「ハンセン病」という病気を排除するために、その「人間」を排除していたという事実。今後、同じ過ちは犯してはならない。また、この事に限らず、私達に与えられたそれぞれの場面で、私達一人一人の在り方が問われる。 難波信義牧師