ヨハネ福音書も20章と21章の終わりで、著者が強調していることがある。それはイエスが行われたしるしが世界に収め切れないほどあるということである。実際イエスのわざは1世紀前半だけに限られてはいない。イエスは今も生きて働いておられるのであり、そのことを熊本においても見出すことができる。熊本での在任5年において、私は「チョッとイイ話」をたくさん知ることになった。
例えば小笠原玄也と妻みやの殉教の話。熊本洋学校生徒たちの花岡山での結盟。ハンセン病患者のために尽くした女性宣教師リデルとライト。救命ボートに乗る順番を他の乗船客に「どうぞ、お先に」と譲り続けた弘津正二。香港の捕虜収容所で命がけの人道的行動を取った渡辺潔牧師。最近では「こうのとりのゆりかご」や「いのちの電話」の働き。また、「チョッといい話」は私たちの教会の召天者たちの生涯にもはっきりと見出すことができる。私たちが残す生涯も、イエス・キリストの姿を少しでも映し出すことになるようでありたい。 山下慶親牧師