洗礼者ヨハネはイエスの道を整える先駆者であった。彼の第一声は「悔い改めよ」であった。荒れ野で生活し、信仰が鍛えられたヨハネの舌鋒は鋭かった。大勢の民衆が来て、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。この時、ファリサイ派やサドカイ派の人々も洗礼を受けに来たが、ヨハネは痛烈な言葉で、「蝮(まむし)の子らよ、・・・悔い改めにふさわしい実を結べ」と告げた。悔い改めが伴わない信仰を批判したのである。
洗礼はユダヤ教で行われていた。ユダヤ教への改宗儀式では、割礼、洗礼、犠牲が行われた。その洗礼には外的な清めの意味合いしかなかった。私たちが受けた洗礼の場合には、悔い改めを求めたヨハネの洗礼を継承している。
ヨハネはイエスについて、「わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と言う。ヨハネがこれほどまで自己卑下するイエスの名によって、私たちは洗礼を受けている。2009年、「悔い改めにふさわしい実」が結ぶように新しく歩み直したい。 山下慶親牧師