2010年4月22日木曜日
「平和があるように」(ヨハネ福音書20:19-29 )4月11日説教
前半(19-23節)はイースター当日の出来事であり、復活の主が弟子たちに現れるという場面。続けて短く、その週の間の出来事があり(24-25節)、さらに一週間後の出来事へと続く(26-29)。イエスの死の現実に絶望し、自分自身の事も不安の中で「恐れ」ていた弟子たちに、復活の主が現れ「平安」を告げる。「鍵(19節)」は、「恐怖」の中で、殻に閉じこもる・心を閉ざす弟子たちを表しているのではないか。その殻を破るように、イエスはその真ん中に立たれる。しかしその一週間後、再び恐怖の中で殻に閉じこもる弟子たちの姿がある。トマスを除く弟子たちは、復活の主に出会っていながら、結局は「不信」に陥っていた。この弟子たちの真ん中に、再び復活のイエスが立たれる。不信を繰り返す弟子たちに、イエスはさらに具体的に、ご自身の御傷を示す。「触りなさい。あなたが再び信じるようになるために、わたしは何度でもその苦痛を負おう」と言われるイエスの姿が示される。この主に信頼して、歩む私達でありたい。 難波信義牧師