イエスが、レビという徴税人に、「わたしに従いなさい」と招いた場面。当時、ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、ローマへの納税義務があった。
民衆は、たとえ同じ民族に属する者であっても、自分たちを苦しめる税金を取り立てる仕事をしている者に対しては、軽蔑し、「ローマ帝国の犬」と侮辱していた。レビもそのような中にあった。
本来なら仲間であるはずの同じ民族の人々から、軽蔑され、罪人として扱われていた。イエスは、そのレビに「わたしに従いなさい」と言われた。「彼は立ち上がってイエスに従った(14節)」としか聖書は伝えていないが、レビは「私で良いんですか」と問うたのではないかと想像する。
しかし、社会的な「私」は問題ではない。生きて存在する「私」が問題であり、イエスに従うという決心が、問題なのだ。神に信頼して、全てを委ねる、それが私たちに求められているのではないか。「私を用いてください」との呼びかけも、全てを委ねることから始まる。私たちはいつも、そしていつでも「私を用いてください」と言える、神様への信頼としての心の準備を忘れずにいたい。 難波信義牧師