神殿の境内で、人々が献金する姿をご覧になるイエス…。イエスは何を考えながらご覧になっていたのか…。そんな時、一人のやもめがレプトン銅貨2枚をささげた。その行為をイエスは「アーメン」と言われた(「はっきり言っておく(43節)」を直訳すると「アーメン、あなたがたに、わたしは言う」となる)。
「貧し(42節)」さの中で「生活費を全部入れた(44節)」彼女の行為に「アーメン(その通り)」と言われるのだ。そもそもイエスは何を考えながら、人々が献金する姿をご覧になっていたのか。イエスの言葉にそれが表れている。大勢の金持ちはたくさんささげていた。しかしそれは「有り余る中から(44節)」の献金であり、さらに言えば、大勢の群衆が注目する中での「見栄」のための献金だった(38-40節の場面に続いて、この場面がある事から、それが示される)。
イエスは「金持ち」と「貧しいやもめ」対比を通して、私たちに決して忘れてはならない「心」を教える。すなわち、ただささげる・ただ歩む・ただ生きるのではなく、私達の生活の一つ一つの場面に、神の豊かな恵みと導きを一つ一つ確認し、その一つ一つに感謝しつつ、ささげる・歩む・生きる、私たちでありたい。 難波信義牧師