生まれたばかりのイエスに「占星術の学者たちが訪れる」という場面。「学者たち」とは他国の宗教指導者たちである。その彼らは何故旅立ったのか…。それは「生きるべき道」を求めたからであった。しかも大変な危険を冒して(旅そのものが危険であり、故国での地位や職務等を手放して)でもその「道」を求めている。さらに人間としての限界を表すように彼らの「道」は行き詰まる。人間的な判断をもって到着したのはエルサレムだった。
イエスはそこに生まれたのではない。彼らによって広められた「新しい王の誕生」の知らせは、人々を不安にさせた。ヘロデには自らの地位を脅かす存在の知らせであり、エルサレムの人々には、今までの歩みが変化する知らせであったからだ。ヘロデもエルサレムの人々も「古い道」にとどまり続けることを望む。しかし異国の学者たちは進み続けることを選んだ。すると神が、その「道」を導かれた(9節)。
ここに、彼らの「新しい道」は開ける。さらにこの「道」の中心には、幼子イエスがおられる。また、彼らはヘロデとは「別の道」を通って行くよう夢で示される(12節)。新しい年を迎える私たちに、イエスを中心にした新しい道が示される。学者たちを徒労に終わらせなかったばかりか、大きな希望を生み出したように、私たちも信頼して新しい道を歩みたい。 難波信義牧師