幼子イエスが「神殿で捧げられる」という場面。特に神殿奉献はもちろん、命名(21節)も含めて、救い主としてお生まれになったイエスは、ことごとく「律法」に従っている。すなわち、神の御子イエスは、旧約聖書の時代に定められた律法の「外」に生まれたのではなく、律法の「もと」に生まれたのだと言う事が強調されている。
イエス・キリストは律法の成就であり、神の御心そのものなのだ。またその幼子イエスを、そのままで、世の救い主として見抜いた人物がいた。それがシメオンである。彼は幼子イエスを抱き「あなたの救いを見た」と主に感謝する。彼の確信はどこから来るのか。
それは、聖書の御言葉を生き生きと信じる信仰に生きたと言う事であり、また聖霊による確信を得て、神の導きに従って行動したからだ(25-27節)。この事によってシメオンは、心おきなく信仰の生涯を全う出来たと・心安らかに去ることができると、確信できた。新しい一年、信仰が日曜日だけの信仰にとどまることなく、現実の中に誕生されたイエスを、その現実の中で受け入れつつ、聖書に聞き、神の導きを確信し、その導きに従って生きる者でありたい。 難波信義牧師