2011年1月20日木曜日

(ルカ3:21-22)「イエスの受洗」1月9日礼拝説教

イエスが洗礼を受けられた場面。何故イエスは「罪の赦しを得させる為の悔い改めの洗礼(3節)」を受けたのか。「罪なき神の子、ヨルダンの川にて、われらの罪とが、共に担いたもう。(讃美歌277)」との讃美歌が示す通り、罪の赦しと悔い改めを必要とする全ての人間と共に歩むために、洗礼を受けたのだ。さらにこの時、神が「わたしの心に適う者」と語られた。

イエスの、罪人と共に歩まれる・低きに降る神の子としての姿を御心に適うことだと宣言されたのだ。この場面を通して、私たちの洗礼についても示される。人間と共に歩もうと洗礼を受けるイエスは私たちを招く。「私の後に続け」と。このイエスの招きに応えるのが、私たちの洗礼なのだ。さらに、「後に続く」・「共に歩む」だけでなく、私たちは洗礼を通してキリストと一つに結び合わされる。「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたち(ローマ6章3節)」とある通り。神が、私たちを「子」として受け入れてくださる、その契約が、私たちの洗礼なのだ。

既に洗礼を受けている方はこの自覚を新たにしつつ歩みたい。また、まだ洗礼を受けていない方は、この洗礼の意義を覚え、イエスの招きに応えるべく、良き備えの日々を、この年、始めよう。  難波信義牧師