「網を降ろし漁をせよ」とのイエスの言葉に、漁師シモンは、夜通し漁をしたのに不漁に終わった現実を訴える。しかし同時に「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と投げやりに応える。これを実行した事によって奇跡が起こる。
思えば、イエスの命令は、その先を約束する言葉である。「漁をせよ」=「大漁」、つまり「命令」=「約束の言葉」なのだ。この事実に気付いたシモンは自らの罪(「的外れ」の意)を自覚させられた。漁師のプロとしての自分の経験・勘の良さのみに頼って、イエスの言葉に信頼していなかった・神に信頼していなかった、その事に気づいたのだ。さらにシモンはイエスに対して「主よ」と呼びかける。この呼びかけは、信頼をもって・人生をかけて、初めて呼ぶ事のできる言葉だ。ここに、この奇跡の目的がある。単に「イエスは素晴らしい方だ」と思う事ではなく、そこに「信頼」があるかどうかという事なのだ。
人生をかけるほどに信頼できるかどうかによって、私達の「信じる」という信仰は左右される。自らの人生をかけるほどの信頼をもつ事ができれば、その先にある約束の成就・恵みの成就を心から信じ、その信仰を保ちながら、苦難を乗り越えて行く事ができるのだ。 難波信義牧師