「わたしの思いは、あなたたちの思いとは異なり…高く超えている(8-9節)」と神は言われる。このように神と人間との間には、無限の距離がある。にもかかわらず、神はどこまでも・いつまでも人間(私たち)の事を心にかけてくださっているのだと聖書は繰り返し証言する。事実、ここでも続けて、雨や雪が大地を潤すように、神の言葉が私たちを潤すのだと語られる(10-11節)。雨が降り、大地を潤し、作物はその恵みに応える…。
しかし私たちの生活現場はコンクリートやアスファルトに覆われ、大地はみなその覆いの下に隠されてしまっている。雨は側溝に流れ込み処理される。それはまるで、神の言葉や恵みが、その本来の力を発揮する前に、聞き流され処理されてしまっている私たちの現実を表しているようだ。人間の心にコンクリートやアスファルト以上の頑なな覆いがかぶさり、神の言葉を全く受け止めようとしない私たちの現実である。
アドヴェントにあって私たちは、この1年の間に心の上に積み重なってしまった覆いを、力をふるって打ち砕かなければならない。「打ち砕かれ悔いる心」こそ「神の求めるいけにえ(詩51:19)」である。この事を覚えて、自らをかえりみつつ、神に立ち返って歩みたい。
難波信義牧師