7月27日 の 説 教 要 旨
「よく見えて」
(マルコ8:22-26) 難波信義牧師
「ベトサイダで盲人をいやす」との表
題が付けられた場面。盲人は段階的に癒
される。最初はぼんやりと見えて、そこ
から再びイエスが両手をその目に当てる
と、「よく見えてきていやされ、何でもは
っきり見えるようになった(25節)」。
この短い出来事を通して二つの事が示
される。一つは、この人が繰り返しイエ
スさまに触れていただいたという事が、
今を生きる私たちにも、何度も触れてく
ださり、導いてくださっているという事
である。「教会」「礼拝」「説教」を通して、
繰り返し触れ、「何か見えるか(23節)」
と常に確認してくださるのである。
もう一つは、最初はぼんやりと見えて
いたものが、「よく見えてきて」(※直訳
は「目を懲らして見る」)、つまり見え始
めたものを一心に見つめることによって、
はっきりと見えてきたのであり、この事
を通して、私たちも、見え始めたものを
大切にする・見え始めたものに目を向け
る者でありたい。
パウロが記した「見えないものに目を
注ぐ(Ⅱコリ4:18)」につながる。目に
見えるものではない、一時的なものでは
ない、変わらざる・動かざる・誰にも奪
われない・永遠なるもの、本当に価値あ
るものに目を注いで、そこにしっかりと
人生の土台を据えて私たちは生きる。そ
の歩みを、イエスさまが支えてくださる。