2014年8月20日水曜日

8月10日礼拝 の 説 教 要 旨

「信仰のないわたしを」

(マルコ9:14-29) 難波信義牧師

霊に取りつかれた息子を癒してもらう
ため、父親がイエスの弟子たちのところ
へやって来た。この時、たまたまイエス
は不在であり、弟子たちが悪霊からの解
放を行おうとしたが出来なかった。その
ために、そこに居合わせた律法学者たち
と議論になり、父と息子を放ったらかし
に、議論は白熱していた。
そこへイエスが戻って来て、その一連
の事を含めて「なんと信仰のない時代な
のか(19)」と嘆かれた。弟子たちは信
仰の欠如によって悪霊の追い出しが出来
なかった。律法学者たちは信仰の欠如に
よってイエスの弟子たちを責める事しか
できなかった。さらにこの父親も、「おで
きになるなら…助けてください(22)」
と言い、イエスから「『できれば』と言う
か(23)」と信仰の欠如を問われる。
父親は慌てて「信じます。信仰のない
わたしをお助けください(24)」と叫ん
だ。「わたしを」とあるように、助けても
らわなくてはならないのは、息子である
以前に、信じる事が困難な自分自身なの
である。この父親の「気付き」は、弟子
たちにこそ必要であった。だからイエス
は「祈りによらなければ(29)」と教え
られたのだ。私たちも自らの無力さを自
覚し、そのままを神にゆだね、御業を求
めて歩む者でありたい。