イエスが処刑されて3日目の朝早く、婦人たちがイエスの墓に向かう。しかし、遺体はなく、空っぽであった。この時、2人の天使がイエスの復活を告げた。
婦人たちは弟子たちに一部始終を伝えるが、信じてもらえなかった。4つの福音書には、疑いや迷い、不安や心配の中にあった弟子たちが、イエスの復活を容易に信じなかったことが記されている。
エマオ途上の2人の弟子の場合には、イエスの復活について、歩きながら論じ合っていた。「顔は暗く」、頭の中は混乱していた。「最初のイースター」は「ハッピー・イースター」ではなかった。しかし、復活したイエスが共に歩いてくださった時、2人の「心は燃えていた」。私たちは、人生の疑いや迷い、生活の不安や心配に直面することがある中で、心が燃えることもある。そのような時、復活したイエスは私たちの歩みに合流してくださっている。イエスは今も生きておられるし、共に歩んでくださる。このことを信じて、復活を記念する朝、「ハッピー・イースター」と言い交わしたい。 山下慶親牧師
2009年4月8日水曜日
2009年3月31日火曜日
「一つにしてください」(ヨハネ福音書17:11-23) 3月29日説教
野球のWBC決勝戦で日本が韓国に勝利した。一丸となったチームが大きな力を発揮することを教えられた。
イエスは御自分の死を強烈に意識し、祈られた。後に残す弟子たちが心配だったからである。彼らが「悪い者から守られ」「一つとなる」ように祈られた。
一つになることは簡単ではない。世界の現状を見ても、教会の歴史を考えても、身近な人間関係振り返っても、一つとなることはとても難しい。私たちは「一つにしてください」というイエスの祈りを今も必要としている。
イエスの復活と昇天後、散り散りになった弟子たちが戻って来て、祈りを共にしていた。「一つになって」集まっていたのである。そのような中で聖霊降臨の出来事が起こり、弟子たちは積極的な宣教活動を展開するようになった。今週から新年度が始まる。共に礼拝に集い、教会が「一つになって」、宣教の使命を担っていけるようでありたい。イエスは弟子たちのためでなく、私たちも「一つとなるように」祈ってくださっている。 山下慶親牧師
イエスは御自分の死を強烈に意識し、祈られた。後に残す弟子たちが心配だったからである。彼らが「悪い者から守られ」「一つとなる」ように祈られた。
一つになることは簡単ではない。世界の現状を見ても、教会の歴史を考えても、身近な人間関係振り返っても、一つとなることはとても難しい。私たちは「一つにしてください」というイエスの祈りを今も必要としている。
イエスの復活と昇天後、散り散りになった弟子たちが戻って来て、祈りを共にしていた。「一つになって」集まっていたのである。そのような中で聖霊降臨の出来事が起こり、弟子たちは積極的な宣教活動を展開するようになった。今週から新年度が始まる。共に礼拝に集い、教会が「一つになって」、宣教の使命を担っていけるようでありたい。イエスは弟子たちのためでなく、私たちも「一つとなるように」祈ってくださっている。 山下慶親牧師
2009年3月26日木曜日
(ヨハネ福音書11:17-27)「泣く力」 3月22日説教
パウロはローマの信徒への手紙(12章)の中で、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」と書き、他者への共感能力を持つことを問いかけている。
イエスはベタニア村に住むマルタとマリアと親しかった。姉妹は兄弟ラザロが重病にかかった時、イエスのもとに遣いをやった。病気を癒してもらいたかったのである。しかし、イエスがベタニアに着いたのは、ラザロが墓に埋葬された4日後であった。
深い悲しみに沈んでいたマリアはイエスを見るなり、泣き出してしまう。慰めていたユダヤ人たちも泣いてしまう。この光景を見たイエスは心を揺さぶられる。ヨハネ福音書は「イエスは涙を流された」と短く記している。イエスは「泣く者と共に泣く」方であった。今は受難節。主イエスが十字架上で受けられた苦しみを思う時である。イエスの十字架を思い、イエスを失った悲しみに沈むマリアや弟子たちを思い、「共に泣く」ことによって、復活を「共に喜ぶ」こととなるイースターの朝を待ちたい 山下慶親牧師
イエスはベタニア村に住むマルタとマリアと親しかった。姉妹は兄弟ラザロが重病にかかった時、イエスのもとに遣いをやった。病気を癒してもらいたかったのである。しかし、イエスがベタニアに着いたのは、ラザロが墓に埋葬された4日後であった。
深い悲しみに沈んでいたマリアはイエスを見るなり、泣き出してしまう。慰めていたユダヤ人たちも泣いてしまう。この光景を見たイエスは心を揺さぶられる。ヨハネ福音書は「イエスは涙を流された」と短く記している。イエスは「泣く者と共に泣く」方であった。今は受難節。主イエスが十字架上で受けられた苦しみを思う時である。イエスの十字架を思い、イエスを失った悲しみに沈むマリアや弟子たちを思い、「共に泣く」ことによって、復活を「共に喜ぶ」こととなるイースターの朝を待ちたい 山下慶親牧師
2009年3月18日水曜日
「イエスの兄弟姉妹」 マタイ12:46-50 3月15日説教
1週間、家族でタイを旅行した。旅行中、家族を超えた「キリスト者の交わり」について考えさせられた。
1975年から3年間、私はタイで最初の私立パヤップ大学で初代チャプレンの仕事をした。離任後30年が過ぎたが、今も良い「交わり」が続いている。バンコクの空港では草葉町教会に来たこともあるタウィーチャイ氏(昨年末まで国連職員)が出迎えてくれた。タイ・キリスト教団事務所やバンコク日本語教会も訪ねた。熊本Yと交流しているチェンマイYでは副総主事のチュラーラット氏(30年前の学生)、パヤップ大学ではプラディット学長(私の後任チャプレン)などの歓迎があった。日曜日はチェンマイ第一教会の礼拝に出席した。「キリスト者の交わり」の中にあることを本当に嬉しく思う。
イエスは、私たちが血縁的な家族の枠を超えて、「天の父の御心を行う」信仰的な兄弟姉妹となることを教えている。5月には韓国の大邱南門教会から4名の代表を迎える。互いにイエスの兄弟姉妹たちとして、心から歓迎する準備をしたい。 山下慶親牧師
1975年から3年間、私はタイで最初の私立パヤップ大学で初代チャプレンの仕事をした。離任後30年が過ぎたが、今も良い「交わり」が続いている。バンコクの空港では草葉町教会に来たこともあるタウィーチャイ氏(昨年末まで国連職員)が出迎えてくれた。タイ・キリスト教団事務所やバンコク日本語教会も訪ねた。熊本Yと交流しているチェンマイYでは副総主事のチュラーラット氏(30年前の学生)、パヤップ大学ではプラディット学長(私の後任チャプレン)などの歓迎があった。日曜日はチェンマイ第一教会の礼拝に出席した。「キリスト者の交わり」の中にあることを本当に嬉しく思う。
イエスは、私たちが血縁的な家族の枠を超えて、「天の父の御心を行う」信仰的な兄弟姉妹となることを教えている。5月には韓国の大邱南門教会から4名の代表を迎える。互いにイエスの兄弟姉妹たちとして、心から歓迎する準備をしたい。 山下慶親牧師
2009年3月4日水曜日
「命に至らせる香り」(Ⅱコリント2:12-17) 3月1日説教
パウロは「香り」という言葉を4回も用いている。どんな香りが彼の嗅覚に残っていたのだろうか。
見出しには「パウロの不安と安心」と記されている。パウロにとって、コリントの教会は心配の種であった。しかし、テトスから良い知らせを受けたに違いない。彼は「神に感謝します」と書いた後、ローマの凱旋行進において祭司が振る香炉から漂う香りについて書いている。彼の心は不安から安心に変わっている。
パウロは「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と述べる。私たちは鼻持ちならない宗教的体臭が漂うことのないキリスト者でありたい。しかし、そうならないためには、いつも心が洗われていなければならない。一度だけの「洗礼」では不十分であり、受洗後も礼拝に出席し、毎月の聖餐式にあずかりながら、心の汚れが洗い流されることが大事である。そのことを通して、「神に献げられる良い香り」「命から命に至らせる良い香り」の一部に加えられるようでありたい。 山下慶親牧師
見出しには「パウロの不安と安心」と記されている。パウロにとって、コリントの教会は心配の種であった。しかし、テトスから良い知らせを受けたに違いない。彼は「神に感謝します」と書いた後、ローマの凱旋行進において祭司が振る香炉から漂う香りについて書いている。彼の心は不安から安心に変わっている。
パウロは「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と述べる。私たちは鼻持ちならない宗教的体臭が漂うことのないキリスト者でありたい。しかし、そうならないためには、いつも心が洗われていなければならない。一度だけの「洗礼」では不十分であり、受洗後も礼拝に出席し、毎月の聖餐式にあずかりながら、心の汚れが洗い流されることが大事である。そのことを通して、「神に献げられる良い香り」「命から命に至らせる良い香り」の一部に加えられるようでありたい。 山下慶親牧師
2009年2月24日火曜日
「教会の姿」(ヨハネの黙示録3:14-22) 2月22日説教
ローマの記者会見で酩酊した中川大臣の姿と来日したクリントン国務長官の姿は対照的であった。私たちは教会としてどのような姿を示しているだろうか。
黙示録にはアジア州の7教会に宛てた手紙が書かれている。7つ目の手紙はラオディキア「教会の姿」を批判し、彼らの信仰について、「冷たくもなく熱くもない」、「なまぬるいので口から吐き出そうとしている」とまで書いている。これらの表現にはラオディキア地域周辺の水事情が反映されている。
阿蘇を水源とする熊本の水は夏でも冷たく、県内各地で湧き出る温泉の水は熱い。私たちは教団熊本地区の11教会・伝道所が示している姿を顧みることが必要である。伝道が困難な時代の中で、「永遠の命に至る水」が湧き出し続けている教会であることを願う。
私たちはイエス・キリストの“霊が諸教会に告げること”(3:22)を聞き取りながら、本日の臨時総会において、来年度の目標や計画を立て、熊本における「教会の姿」をしっかりと示していきたい。
山下慶親牧師
黙示録にはアジア州の7教会に宛てた手紙が書かれている。7つ目の手紙はラオディキア「教会の姿」を批判し、彼らの信仰について、「冷たくもなく熱くもない」、「なまぬるいので口から吐き出そうとしている」とまで書いている。これらの表現にはラオディキア地域周辺の水事情が反映されている。
阿蘇を水源とする熊本の水は夏でも冷たく、県内各地で湧き出る温泉の水は熱い。私たちは教団熊本地区の11教会・伝道所が示している姿を顧みることが必要である。伝道が困難な時代の中で、「永遠の命に至る水」が湧き出し続けている教会であることを願う。
私たちはイエス・キリストの“霊が諸教会に告げること”(3:22)を聞き取りながら、本日の臨時総会において、来年度の目標や計画を立て、熊本における「教会の姿」をしっかりと示していきたい。
山下慶親牧師
2009年2月17日火曜日
「信仰と笑い」(創世記17:15-19;18:1-12)2月15日説教
最近、落語の寄席の入場者が増えているという。不景気で笑いが必要とされているのである。「信仰と笑い」には共通点がある。どちらにも、人間が前向きに生きていく知恵が含まれている。
百歳のアブラハムと九十歳のサラに男の子イサクが誕生する話には笑ってしまう。実際、17章では神から告知を受けたアブラハムが「ひそかに」笑い、18章では妻のサラが「ひそかに笑った」と書かれている。「そんなアホな」とクスクス笑いしているのである。この物語を生み出した「信仰の民」は「笑いの民」でもあったことが分かる。
このところ、熊本出身の姜尚中(カン・サンジュン)が書いた『悩む力』がベストセラーになっている。私たちは「悩む力」以上に、「笑う力」が必要である。 主イエスは、「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」と言って、「笑う力」を発揮することを求められた。私たちは信仰にしっかりと立つと同時に、笑いを絶やすことなく生活していくようでありたい。 山下慶親牧師
百歳のアブラハムと九十歳のサラに男の子イサクが誕生する話には笑ってしまう。実際、17章では神から告知を受けたアブラハムが「ひそかに」笑い、18章では妻のサラが「ひそかに笑った」と書かれている。「そんなアホな」とクスクス笑いしているのである。この物語を生み出した「信仰の民」は「笑いの民」でもあったことが分かる。
このところ、熊本出身の姜尚中(カン・サンジュン)が書いた『悩む力』がベストセラーになっている。私たちは「悩む力」以上に、「笑う力」が必要である。 主イエスは、「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」と言って、「笑う力」を発揮することを求められた。私たちは信仰にしっかりと立つと同時に、笑いを絶やすことなく生活していくようでありたい。 山下慶親牧師
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