アテネからコリントに着いた時、パウロは「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安で」あった(Ⅰコリント2:3)。アテネでは何があったのだろうか。
パウロはアテネで哲学者たちと議論を交わしたが、全く理解されず、評議所で尋問を受けた。彼は神による天地創造から説き起こし、イエスと復活について語った。説得力を持たせようと、ギリシア文学からも引用し(17:28)、本当の神は「探し求めさえすれば・・・見いだすことができる」と訴えた。しかし人々は嘲笑し耳を傾けなかった。この反応がパウロを落ち込ませたのである。
今日の日本はこのアテネと似ていないだろうか。どんな議論もできるし、教会への敵意や迫害はない。そして福音の宣教が多くの人によって耳を傾けられることもないからである。結果として、日本の教会は「長期低落傾向」にある。
しかし、私たちはコリントに移って、新たな気持ちで宣教を続けたパウロにならいたい。「何とかして何人かでも救うため」に(Ⅰコリント9:23)。山下慶親牧師