2010年1月4日月曜日

「イエスから祈りを学ぶ」(マタイ6:5-15)9月20日説教

先週の説教では、礼拝や祈りが子どもの時からの習慣として身に着くことの大切さについて話をした。しかし、どんな習慣にも、「慣れっこ」になる問題が伴う。
  私たちが最も「慣れっこ」になっているのは「主の祈り」である。マタイ6章とルカ11章には、イエスが弟子たちに祈り方を教えたことが記されている。マタイ福音書では「偽善者の(祈りの)ようであってはならない」と教え、「人の過ちを赦す」ことが勧められている。ルカ福音書では、祈りを教えた後、熱心に祈り求めることの大切さが教えられている。
  私たちは、ルカの記事からは熱心に祈り求める習慣が身に着くようになること、マタイの記事からは祈りが「慣れっこ」のマンネリに陥らないよう信仰の初心を忘れないでいることの大切さを学びたい。そして、習慣化した「主の祈り」を唱える時には、自分たちに負い目のある人々に関して、「赦しまし“た”」(マタイ6:12)、「“皆”赦します」(ルカ11:4)と心から言えるようでありたい。    山下慶親牧師