2010年8月19日木曜日

(1コリント12:12-26)「共に苦しみ、共に喜ぶ」(平和聖日)8月1日説教

この手紙を記したパウロは、この箇所で「体の比喩」を用いながら、教会の「一致」を勧める。この「体の比喩としての教会」または「キリストの体なる教会」という理解はパウロの独特な理解である。

他の手紙の中でパウロは「両者を一つの体として神と和解させ…(エフェソ2:16)」と記し、教会はイエス・キリストによって創られた一つの体であり、神の創造だと言う。教会は一つの体ではあるが、しかし今日の箇所を通して、恵みの賜物によって多様であり豊かであるとも言う。

民族的な違い・社会的な違いという豊かな多様性を認めつつ(13節)、「多様であり、一つである」と言う。その根拠は、教会はイエス・キリストによって創られた一つの体であり、神の創造だから。にもかかわらず、その教会が一致を欠いているなら、それは人間が一致を破壊している事になる(15-17節)。

他者を認めず軽蔑するならば、それは神への反逆なのだ(21-24節)。「平和聖日」にあたり、この「教会の一致」から、さらに「世界の一致」へと広げて考えたい。様々な立場の違いを認め合いつつ、共に苦しみ、共に喜びつつ、平和のために一致して歩みたい。                       難波牧師