2010年8月19日木曜日

(使徒言行録6:14-29)「ヨハネとヘロデ」6月27日説教

ガリラヤ地方一帯を治める領主ヘロデと、彼によって殺された洗礼者ヨハネが対照的に描き出される場面である。

王として何不自由なく生き、欲しいものは何でも(兄弟の妻でさえ)手に入れる事ができたヘロデ。しかしイエスの名が知れ渡った時「わたしが首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ(16節)」と不安と恐れに包まれた。

そのヘロデの一言で命を奪われたヨハネだが、彼は神のご計画に従って真っ直ぐに歩み、民衆にイエスを指し示し、どんな権力者も恐れることなく、ただ神のみを畏れて歩み、その生涯を終えた。殺されたヨハネが生き生きと輝き、逆にヨハネを処刑したヘロデが恐怖におののいている。そればかりか、ヘロデは自らの権力(それは一見自由で何でもできるように見えるが、実はとても不自由)に縛り付けられてしまっている。

「信仰に生きる」という言葉・響きは「カタい」「不自由」という印象があるかも知れないが、実は、この世のあらゆるしがらみから解き放たれて、「生き生きと自分を生きる」事なのだ。真に自由な者として、信仰に生きる私たちでありたい。                          難波信義牧師