イエスによる2つのパンの奇蹟(6:30以下/8:1以下)を体験した弟子たちだったにもかかわらず、その直後、パンの問題で困惑・混乱してしまう。
弟子たちは「その時」は「その時」で感動し、感謝し、イエスを信じるが、「今」は「今」の問題に捕らわれてしまっている。だからイエスは「まだ悟らないのか」と嘆く。すなわち「ただ神にのみ信頼しなさい」と教えるのだ。さらに「フィリサイ派のパン種とヘロデのパン種に気をつけなさい」(15節)と言われた。
フィリサイ派のように、神の律法をねじ曲げ、それを守る事のみが信仰の証であるような、「神を抜きにした熱心さ」で信仰があついなどと考えるな、と言う。また逆に、ヘロデのように、信仰と社会的欲望を天秤にかけ、私利私欲に走り、神を抜きにして生きようとするな、と言う。
このようにファリサイ派もヘロデも、立場は両極端でありながら、どちらも「神を抜きにして、自分の生活を規定している」という点においては全く同じだ、と言うのだ。このイエスの言葉に自らを省みつつ、ただ神にのみ信頼して生きる私たちでありたい。 難波信義牧師