イエスの癒しの奇蹟が示される場面。「人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。(22節)」と始まる。「癒してほしい」ではなく「触れてほしい」と言うのだ。
イエスはこれまでも、目の前に在る様々な苦しみを負っている一人一人と向き合い、触れ合い、知り合い、その上で癒しの業を示された。このイエスの癒しの本質を知った人々が、一人の盲人を連れて来て「触れてほしい」と願うのだ。
ここに双方の熱い思いが描き出されている。さらにこの場面は「段階的な癒し」という珍しい場面になっている。1度目の癒しでぼんやり見えるようになり、2度目の癒しで「はっきり見えるようになった。(25節)」この前後には、弟子たちのイエスに対する無理解が何度も示される。つまり弟子たちはこの時、イエスをぼんやりとしてしか理解していなかった。
そして十字架と復活の出来事を通して、はっきりイエスを理解したのだ。そんな弟子たちへの皮肉・そして私たちへの警告が、この癒しの業から示される。イエスをキリスト(私の救い主)としてはっきり見つつ、直接的に触れ合う豊かな人間関係に生きる私たちでありたい。 難波信義牧師