2010年10月9日土曜日

(マルコ14:43-52)「御心が実現するため」9月26日説教

イエスが逮捕されるという場面。ユダはイエスが特別に選び出した「12弟子」の一人だ。そのユダが「接吻」という敬愛の挨拶によってイエスを売る。「ある者(47節)」は、大祭司の手下に斬りかかったが、彼はイエスへの忠誠のためではなく、恐怖の中でその不安を振り払うように、この行動に出た。「祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆」は「剣や棒を持って」来た。

イエスに対する憎しみだけで行動する彼らは、自分たちが正しいことをしているという確信を持てない。その曖昧さの中でイエスに恐怖し「強盗にでも向かうよう」な態度でのぞむ。そして「弟子たち」は皆、逃げ出した。登場する人間たちは皆、神の御心を求めず・歩まず、自分の思いで行動し、自分の支配を求めた。しかし、それはただ「自らの弱さ」を見せつけられるだけの結果となった。

弱さの中で不安や恐怖に包まれ、罪を犯す…。その中で、イエスはただ神の御心を歩み、それ故に恐れなど微塵もなく、落ち着き、まっすぐに十字架へと歩まれる。しかも、ここに登場する一人一人の罪・迷いや恐怖も一緒に担って十字架へと歩まれるのだ。「それが御心だ」と語りながら…。       難波信義牧師