収穫感謝の礼拝にあたり、示された聖書は、「分かち合う心」を教えるイエスの譬えである。「愚かな金持ち」の譬えだが、何が愚かなのか。この金持ちの発言一つ一つを、17節以下から厳密に訳し直すと、「金持ちは『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに私の穀物や私の財産をみなしまい、こう私の魂に言ってやるのだ…』」となる。
彼は「私の」「私の」「私の」と繰り返し、自分の事しか考えていない。隣人も神も否定し、自分の力で生きて行くことができるかのように思い上がっていることが、彼の「愚かさ」である。イエスは言う。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならないものはこのとおりだ(21節)」と。
すなわち「神の前での豊かさを大切にしなさい」と。それは、与えられた賜物を私達一人一人が自覚し、用いられるままに用い、また常に必要を満たしてくださる神に、より頼み信頼して生きるということである。分かち合いつつ共に生きる…。これこそが「収穫感謝」の意義である。日々、覚えて歩みたい。
難波信義牧師