熊本バンドの若者たちは皆、実に強烈な個性をもっていた。彼らは同志社へ入学し、時には新島襄に対して批判的な言動をとることさえあったが、奉教趣意書で表明した決意を持ち続け、新島との関係を生涯にわたって大切にすることができた。その関係は、人間本来のあるべき関係ではなかったかと思う。新島は「親友」を「真友」と書いた。まさしく彼には人生の節目に真の友がいた。
そこには彼自身の思いがある。
彼はヨハネ15:13以下を引用して言う。真の友を求める人は「自分自身が真実であれ」「自分から友を求めよ」「相手の短所は問題にするな」等と。そして「キリストを学び、愛をもって人に接すべき」と。特に、示された聖書には「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とある。この「命(プシケー)」は「身体の命」という意味はもとより「自分自身」「エゴ」など広い意味がある。
それを友のために断念する時、そこに立ち現れるのが「愛」であり、その愛はキリストの十字架に示された神さまの愛に裏打ちされているがゆえに「大きな愛」となって現実に強く、広く働いていく。
私たちもまた教会や日常の出会いと交わりが「真友の交わり」へと深められるよう自覚しつつ歩みたい。(文責:難波) 説教者: 野本真也牧師(同志社理事長)