2011年3月4日金曜日

(2コリント6:14-7:1)「生ける神の神殿」2月6日礼

交通の要・商業都市として栄えたコリントに住むキリスト者に宛てたパウロの手紙。示された冒頭の部分でパウロは、この特異な土地にあって、他宗教との分離を強く求める(14-15節)。ここだけを読むと、もはやキリスト者は完全に社会から分離して、孤立して生きなければならない、という結論になってしまう。

 しかしこれ以前の手紙でパウロ自身が「偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではない。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。

(1コリ5:10)」と記すように、パウロの本意は「分離の強要」ではない。
 パウロはここで「わたしたちは生ける神の神殿(16節)」なのだと言う。その上で、コリントの人々を(ひいては私たちを)旧約の時代から続く神の導き・歴史を支配される主が、イスラエルの民を「息子」「娘」としてくださる恵みに立ち返らせつつ(16-18節)、「一人一人が生ける神の神殿である自覚をもっ
て、神の前に正しい存在であり続けよ」と教える。

 この国に生きる私達にとっても、このパウロの言葉は意義深く響いてくる。宗教間の対話や理解を大切にしつつも、決して「信仰は妥協してはならない」と言う事だ。「生ける神の神殿」の自覚をもって歩みたい。
難波信義牧師