2011年3月4日金曜日

(ルカ8:4-15)「蒔かれた『種』とは」2月20日礼拝説教

 イエスが語られた「種を蒔く人」の譬え。イエスは、人々の理解を助けるために、生活に密着した譬えを通して「神の国」を語る。3種類の良くない土地に落ちた種は、それぞれの地に応じ、芽を出し損なう・枯れる・成長し損なう…。しかし良い土地に落ちた種は百倍の実を結ぶ…。 この譬え話を「自分には関係がない」と言えるだろうか。人は誰しも、自分の中に4種の土地を持っている。人生のある時期や段階で「道端」「石地」「茨の土地」「良い土地」であったりする。誰でも、はじめから「良い土地」である訳ではない。

自己中心的に神に求め、自分の波長に合った言葉しか受け入れようとしない事もある。私たちが「良い土地」とされるのは、ひとえに農夫なる神が、適度な雨を降らせ、石地を砕き、茨を焼き払う等、私たちを耕し直
してくださるからに他ならない。

 この前提を持ちつつ、さらに、私たちがその心を神の方へ向け変えるという、人間の側の努力も必要なのだ。この相乗効果によって初めて「百倍の実を結ぶ」ことが出来るのだ。この確信に立ちつつ、しっかりと心を神に向け、神に整えられ、実を結ぶ一人一人でありたい。
                              難波信義牧師