「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ(16節)」とある。思わずユダヤ教時代の「選民思想」を思い浮かべるが、イエスの言う「選び」とは「愛の招き」なのである。それは私たちが「恋愛」などで思い浮かべるように、イエスは、他に人がいないかのように「私」を選び・愛してくださる、と言うことだ。
だから16節を言い換えるならば、「あなたがたがわたしを愛したのではない。わたしがあなたがたを愛した」となる。「私と主」だけの関係ならば、このような理解でも良いが、ここにははっきり
と「あなたがた」とある。神の愛・イエスの愛は、「私」に限定されるのではなく、隣人一人一人にも豊かに注がれているのだ。私たちが恋愛において相手をいとおしく大切に思うように、イエスは「私」を、それ以上の思いを持って見つめてくださる。しかしそうやって「私」を見つめながらも、同時に、全ての一人一人に
豊かな愛を注がれるのだ。
私たちは皆、この愛によって生かされている。だから愛する者へと変えられ、互いに愛し合うことが出来る。しかもその愛は、無理に搾り出すような愛ではなく、主からいただく愛である。この愛を持って、互いに愛し合う者でありたい。 難波信義牧師