2011年6月1日水曜日

(ルカ24:1-12)「生きておられる方」5月1日礼拝説教

イエスの遺体はアリマタヤのヨセフによって墓に葬られた。そして婦人たちもそれを見届けた(23:50以下)。「葬る」のだから、それは「完全な死」を意味する。イエスは、人間が共通して受け入れざるを得ない「死」の現実を経験された。婦人たちもこの時、イエスの「死」を受け入れ「丁重に送りたい」という、遺
体に対する極めて常識的な行動を取ろうとする。イエスは何度も死と復活を予告したはずだが、弟子たちも婦人たちも、その約束を忘れ、悲嘆に暮れ、戸惑い、恐れるだけであった。
の婦人たちに「空虚な墓」と「御使い」が示される。「空虚な墓」だけならば、婦人たちはさらに混乱したことだろう。この時の婦人たちは常識的判断によって行動していたのだから、遺体がなくなれば「誰かが運んだのだ」と考える。だから「御使い」が登場する。「なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか」「あの方
は復活なさった」と。イエスは深い配慮の中で、死に勝利したことを、丁寧に、常に先回りして伝えられる。婦人たちが混乱しないように、御使いを墓に残して…。このように、いつも先回りしてくださるイエス・キリストがいると言うことが、私たちの希望なのだ。難波信義牧師