2011年6月1日水曜日

(ルカ24:36-43)「私たちの真ん中に」5月8日礼拝説教

ついに復活の主が、弟子たちに現れる場面。特にこの時、弟子たちはイエスを前にしてなお「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った(37)」。見ても信じない頑なな心に包まれた弟子たちに、イエスは、その目の前で魚を食べつつ、体を持った存在(完全な復活)としてご自身を示される。

ところで弟子たちは、復活の主を前に「恐れおののいた」。その彼らにイエスは言う。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか(38)」。「心に疑いを…」と言う事については、弟子たちが復活の主を信じられず、「亡霊を見ているのだと思った(37)」からだ。それ程の驚くべき出来事であった。
しかし弟子たちの中には、イエスが言うように「うろたえる」者もいた。これはどういう事か。思えば弟子たちは、十字架の主を前に、一目散に逃げ去った。イエスを捨てたのだ。だからイエスに顔向けできない。だから「うろたえ」「恐れおののいた」のだ。

この弟子たちに、イエスは「平和があるように」と告げる。信じない事を・逃げ出した事をとやかく言うのではない。「あなたと共にいる」事を示されるのだ。今を生きる私たちにも、弱さはそのままに「共にいる」事が示される。難波信義牧師