2011年8月17日水曜日

(使徒20:7-12)「大いに慰められて」7月24日礼拝説教

パウロが3回目の宣教旅行で滞在したトロアスでの出来事。ここで7日間滞在したパウロは、翌日に移動を控え、別れを惜しみつつ、熱心に語り続け、それが「夜中まで続いた(7節)」のだ。
深夜の外は静寂と暗闇…。しかし部屋の中は語り手と聞き手の情熱に包まれつつ、ともし火が輝く感動的な状況…。それはそのまま、暗黒の世界に福音の炎を携え行こうとするパウロの情熱である。
しかしここで一つの事件が起こる。その場に居合わせた青年エウティコが、眠気のあまり3階の窓から転落し、息絶えてしまったのだ。

人々が慌てふためく中、パウロは毅然と「騒ぐな。まだ生きている(10節)」と語る。この「まだ生きている」と訳された言葉は、「彼の魂は彼の中にある」という言葉である。事実彼は、パウロの腕の中で息を吹き返した。

この場面を通して、この奇蹟に注目してしまうが、ここで重要なのは、パウロの情熱である。そもそも、それまでに3年も滞在したエフェソで騒動に巻き込まれたパウロだったが「まだ生きている」との言葉から示されるように、絶望の中でも希望を失わずに伝道に励んだ。

息絶えたような状況を、命あるものへと変えるパウロの伝道が示される。息絶えた青年が生き返ったように、私たちも「大いに慰められて」希望に歩みたい。  難波信義牧師