2011年8月17日水曜日

(マタイ28:16-20)「イエスは近寄って」6月5日礼拝説教

一般に「大宣教命令」と呼ばれるこの場面だが、今回は17節の「しかし、疑う者もいた」との言葉に注目したい。
イエスが重大な使命を、まさに今、弟子たちに与えている、この厳かな場面において、全く相応しくない言葉に思える。
その上、この言葉を抜かしても場面は成立する・むしろ、よりすっきりした場面になるのに、敢えて「しかし、疑う者もいた」と記している。故に、ここに大きな意義を感じる。それは「イエスは、疑いを拭い得ない者たちを、決して排除なさらない」と言う事だ。

思えば、教会は「信じる者の群」と言うが、だからといって「信じない者」「疑う者」を排除したら、一体誰が教会に残る事が出来るか。そして「信じたい」「信じよう」「信じさせてください」という叫びを持って、「疑い」を乗り越えるのが私達の現実なのだ。この現実を踏まえるならば、「疑う者もいた」というのも、決して弟子たちが不真実な集団だったと言う事を言っているのでは無い事が分かる。

「信仰」と「疑い」のせめぎ合いの中で・この現実の真っ只中で、イエスは私たち一人一人に「大宣教命令」を語られたのだ。何よりこの現実を歩む私たち人間に「イエスは近寄って」くださる。 ここに信頼して歩む私たちでありたい。     
                                 難波信義牧師