昨今は「自己実現」という言葉がやたらと聞かれます。しかし、マズローの提唱した本来的な意味から外れた、単に自分のなりたい自分になることが人生のゴールであるかのような「自己実現」には、「利己実現」と
でも言うべき、非常に個人主義的な自己の願望の充足に陥る危険性があります。
エフェソの信徒の手紙によれば、キリスト・イエスにあるものは、ただ一つなる神を見上げて、互いに結ばれて一つの体を作り上げて行くため召されているのです。
ここで語られている私たち人間の生き方は、「自分の思いを実現する」というものではなく、「神の国実現」とでもいう生き方、「神様の思いがこの世界に実現されるよう、そのために働き生きる」ことなのです。
そして、私たちには「キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられて」います。それぞれに与えられた恵みを十全に生き抜くこと、それこそが私たち使命であり喜びなのです。
関谷直人(同志社神学部)教授